館林文化史談会

史談会紹介

館林文化史談会とは、

 館林および館林に関連する地域の文化・歴史について調査研究し、その成果の発表を行い、会員の趣味・教養を高め併せて会員相互の親睦を図ることを活動目的にしています。
 具体的な活動としては、毎月一回の例会での研究発表、関連する文化遺産を訪ねる野外研修などがあります。

沿革

 昭和7年(1932)9月、館林町および近隣地域の自然・歴史・文化遺産及び先人の業績等について調査研究し、その成果を発表し合うことによって、郷土への理解と関心を深めることを目的に「館林郷土史談会」の名称で組織されたのがこの会のはじまりです。同年12月「秋元文庫」(市立図書館の前身)において発会式を行い、毎月一回の定例研究発表会を開催しました。以後、会は130回を重ねましたが、太平洋戦争下の戦局がきびしくなり休止となりました。
  戦後、昭和21年(1946)2月、旧役員および会員ら9名の発起によりこの会を復活。会の名称を「館林文化史談会」と改めましたが、館林郷土史談会の設立目的を継承し、会員自身の研鑚を積むと共に、次の世代に館林の文化・歴史を伝えるべく活動を実施し現在に至っています。
  事業は月1回の定例研究発表会のほか、資料展示会、現地見学会等を実施。その成果としては、館林文化史談会として『館林の話』や『城と城下町の起源』の出版や羽継原合戦供養碑の建立などに繋がり、館林市史の編さんに対する調査や資料の提供などの協力も行っています。また、館林市制60周年記念事業として、館林城ジオラマを館林文化史談会主導のもとに制作し館林市に寄贈しました。現在は館林市第一資料館(市立図書館併設)に常設展示されています。

活動内容

  1. 館林および館林に関連する地域の文化・歴史についての調査研究
  2. 調査研究成果の発表会・談話会の開催
  3. 史料及び資料の収集・展示会の開催
  4. 現地研修会の実施
  5. その他この会の目的を達成するための事業
   

活動成果(例)

本の出版

出版物『館林の話』と『城と城下町の起源』
『館林の話』と『城と城下町の起源』

『館林の話』(館林文化史談会:編、昭和42年(1967)11月)と『館林史談 城と城下町の起源』(布川了:著、館林文化史談会:出版、平成元年(1989)9月)の2冊を出版しています。
『館林の話』は田山花袋、つつじが岡公園、楠木神社に関する研究や館林城の築城伝説、領主であった榊原康政などに関わる研究や伝承を館林歴史夜話としてまとめています。
また、『城と城下町の起源』は文献を始めとする多くの史料をもとに検討を重ね、館林城の築城の経緯と城下町形成の過程を明らかにしています。館林城築城に大きく関係した赤井氏の虚像と実像についても詳しく述べています。

供養碑の建立

羽継原合戦供養碑
羽継原合戦供養碑(館林・宝秀寺)

長禄3年(1459)10月15日、古河公方・足利成氏軍と関東管領・上杉房顕/越後守護・長尾房定軍が関東を二分する死闘を繰り広げました。その中の1つの大きな戦いが羽継原(館林市東部)で行われ、”羽継原合戦”と呼ばれています。
この戦いでは優勢と言われる古河公方軍でも二千余人という死傷者を出し、館林地方の史上最大の合戦です。
また、合戦で巻き添えで犠牲になった当地の住民も多く、その方々も含め合戦の550年忌供養として平成20年(2008)10月に建立したものです。
なお、供養碑のある宝秀寺は、館林市羽附町(はねつくちょう)という合戦の行われたと思われる地域にあります。

ジオラマ制作

館林城ジオラマ
館林城ジオラマ(館林市第一資料館)

もっとも古い記録では文明3年(1471)の古文書に”館林城”という名前が記されて存在が明らかになっています。近代館林城としては天正18年(1590)の徳川家康の関東入封により榊原康政が城主となり、城郭の拡張や城下町の整備が行われました。
この館林城が館林地域の文化形成に果たした役割は大きく、その文化を伝承するために、館林市市制60周年の記念事業として、平成26年(2014)に市民を始めとする多くの方々の募金を基に館林城のジオラマを制作しました。
なお、館林城ジオラマ制作にあたっては江戸時代末期の館林城をモデルとし、残された城絵図、絵馬や古文書を基にし、各地の城郭も参考にして制作しました。制作後は館林市に寄贈し、館林市第一資料館に常設展示されています。